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技術・芸術・親切心。あと信心。

またネタにマジレス。
フレスコ画の修復のあれ、ヘタレなので自分のブログでメモ書く。

 →スペイン19世紀のフレスコ画、「修復」のなれの果て 悲惨な結末(CNN.co.jp)
 →「世界最悪」の修復キリスト画に集まる賛否両論の声(Yahoo!ニュース)

『自分の描いた絵に他の誰かが手を入れて、自分の意図した作風とは全然違う方向になっちゃって、でも、できあがったものの評判がやたら良い』
てことになったら、私ならひどくがっかりすると思うんだわ。絵だけではなく、文章でもデザインでも。

クリエーター的仕事に関わっている人や、物作りが好きな人なら同じ思いだろう……? と考えていたんだけど、どうもそうではないみたいで、TwitterのTLやらFBやら見ていると、むしろ元の絵を惜しむ人を笑っているように受け取れる。
絵の好き嫌いはともかく、自分の絵に手を入れられるのは抵抗ないもんだろうか。自分のではなくても、自分の親とか子の作品とか、それに手を掛けられて、よりよくなるならいいけどさ。ちゃんと技術を持っているひとに手直しされるなら、逆に嬉しいかもしれんな。だけど自分より技術の低い人に修正はされたくないなあ。「一生懸命やったから良し」とされるものではないと思うんだよ。
私が“技術”にこだわり過ぎてるのだろうか。そもそもきちんと修復する技術を身につけた人に失礼じゃなかろうか。あれでおkなら、もう今後は各人のセンスで好きなように修復したらいいし。


「痛んだまま放置しておくより、気に掛けて、手を加えた方が良い行為」「イエスも直してもらって喜んでいる」というような意見も見かけて「ええええー」って思ったんだけど、だけどそれはもう“技術”とはなんの関係もなくて、宗教的か擬人化かという感覚だよなあ。無機質である人物像に、人格とか感情を持たせて見ている。あいにく自分は擬人化クラスタが不足気味なので、これにはびっくりしたんだよ。
だいたい『物』は劣化するのであって、その経過自体も作品の一種“味”だと思う。かわいそうなことではない。もちろん劣化しないように保存できる環境があるのなら、それに超したことはないけど。
……これはiPhoneにカバーつけるかつけないかにも通じるかな、とふと思ったり。自分はつけない派です。iPod Touch、傷だらけ。でもそれが好き。

「古いもの」「元のもの」がいいということではなくて、たとえばリペア・リフォーム等でよりよく使えるようになるのはよい。元の素材を生かしつつ、現状に合わせて修正するのはアリ。でも今回のあれは、元の素材というレベルでは無いから、私的にはナシ。

あの絵が修復の結果としてできあがったのものではなく、一から描き起こされたものだとしたらどうなの。それがたとえば自分の住む街の主要施設に飾りますとか、市のシンボルマークに取り入れますとかさ。
あーでもそれなら今度は好きって言えるかも?
みんな元の絵はどーでもよくて、おもしろおかしいだけか。
by kototubo | 2012-08-29 01:00 | にっき。